石田治部少輔三成は、故郷、近江国石田村の、噎せ返るような緑の深さ、木々の隙間を吹き通る爽やかな風を思い出していた。
「殿、聞いてます?」
「ああ。聞いている」
視線も遣らず、三成は男の声に応えた。
三成の少し後ろで胡座を掻き、頻りに煙管を撫でているのは、家臣の島左近である。
「それで、どう思います」
「何が」
「……”聞いている”と言ったじゃあないですか」
三成が左近に振り返った。
鬱陶しげに眉根を寄せた、そのあまりにも端麗な顔に、
「だから、何だ」
大きく、彼の心の声が書いてある。
左近は指の動きを止め、やれやれ――と言った感じで苦笑いをした。
その奥で、普段と変わらぬ主の姿を見ることが出来、安堵もしていた。
左近は、三成が己の棒禄四万石の、半分を与えて召し抱えた男である。
”不義を憎む志”
を同じとした二人は、互いが互いにどんな人間であるのか、母子のように理解している。
執拗に煙管の羅宇を撫でる動作が、左近が煙草を吸いたがっている時にするものだと知っている三成が、左近が煙管に触れて直ぐ様、
「俺の居ない場所で吸え」
釘を刺したようにも、そう言われると分かっていて、左近が二人の無言の時を破る為に煙管を出したようにも。
三成が左近の話を聞き流し、鮮やかに彩られた庭の風景に何を見ていたのかも、左近は知っていた。
「近頃、物騒だって話です」
「今まで物騒でない時など有ったか」
「まぁ、そうですがね。俺の耳に、良くない話が入るんですよ。近頃は特に」
「例えば……」
左近は煙管から手を話し、五指を広げた。
「俺が贔屓にしてる遊郭が、火事で無くなりましてね。嫉妬した客の一人が放火したらしい」
親指を手の内に折る。
「それと、左端にある商家に強盗が入って根こそぎ盗られたそうです。あと、小西殿のところの小姓が通りすがりの男に突然撲られたり、馬屋の番頭が店の金を持って行方知らず、晒し首が一つ盗まれ、牢人共の喧嘩で真っ昼間に死体が四つ」
一つの出来事ずつに指を折って、左近の右手が握った形となった。
男らしい節張った指で為った拳は大きい。見せ付けられた”それ”から、三成は尋問を受けているような感覚を覚えた。
「まだまだあります。これ全て、ここ一週間で起こってるんですよ。ね、物騒でしょう?」
「……春だからな。頭の涌いた奴が多い」
左近の拳から視線を逸らした三成が、呆れたように息を吐いた。
「しかし随分と暇をしているようだな、左近。城下の女共と世間話か」
「なに、世間話も立派な仕事の一つです」
「ほう」
「殿が言うとおり、物騒でない時など有りませんからね。秀吉様の天下の影で何が動いているのか、色々と見聞して注意しておかないと」
「そうか。何なら今から行ってこい。暫く帰って来なくて構わん」
「はは、そんなことを言って……。そしたらこっちの仕事が減りませんよ」
「余裕だろう。今もこうして、つまらんお喋りで時間を潰しているのだからな」
「意地の悪いことを言いますな」
笑いながら、右頬を掻く左近。
”ばつの悪そうな”様子であるが、実はそうでもない。三成の物言いにはとうに慣れている。
すると、三成が静かに立ち上がり、左近は振り向いてその背中を眼差しで追う。
「何処へ行かれるんです?」
「屋敷だ。忘れ物をした」
「小姓に取りに行かせますよ」
「いい。俺が行く」
「じゃ、左近が供をしましょう」
「要らん」
ぴしゃり、と襖が勢いよく締められた。
此処は三成の自室であるが、左近を一人残していくことに、三成に一瞬の躊躇いもない。
左近、
(分かりやすい御方だ)
再び苦笑いをした。
「さて、と……」
膝を叩き、その反動のように腰を上げた。縁側から庭へ降りる。庭から回って、城門へと向かうらしい。
小田原にて最後の抵抗力である北条氏を降らせてから、三ヶ月が過ぎた。
豊臣秀吉の天下は未だ忙しいものである。
秀吉の重臣である三成は、本来の拠点地、佐和山への帰国を先伸ばしとして、ここ大阪で山積みの案件を片付けていた。
道の舗装や田畑の開墾、水路を掘り寺社を建て、また、治安の向上の為、取締りを厳しくし、罪人を裁くのも三成の仕事である。
とにかく、忙しい。
佐和山へ長らく戻っていない三成を気遣い、
「一旦、帰ってもええ」
秀吉が言ったが、その間の俺の仕事を誰がやるのです、と問えば、同じ子飼いである加藤清正の名が上がったのだから、
「ならば結構です。俺がやりましょう」
即答である。
豊臣家の母とも呼べる、秀吉の妻ねねは、人一倍気難しい男をどう扱うべきかよく分かっているものだ。隣に座るねねに肘で小突かれた秀吉は
(しまった……)
顔であった。
三成は大きく栄えた城下町を見下ろしつつ、坂を下る。
一週間程前では町の片隅だけで咲いていた桜の花も、今日には城下全体を塗り潰す勢いである。
左近が”近頃物騒だ”と言った城下町は寧ろ輝かしく、平和に見えた。
屋敷を望めた。
門前で佐和山から連れてきた側妻が花に水をやっている。その横で落ち着かぬ様子の侍女は、側妻の、側妻らしからぬ気儘な行動に振り回され、戸惑っているのだろう。
三成が立ち止まると、遠くにいる侍女が此方に気付いた。それから、側妻も顔を上げた。
侍女は佇まいを直し、頭を下げたが、脇の女は色の無い白い面を三成に向けたままであった。
そこに、無表情に近い笑みがある。
三成は、ふん、と鼻を鳴らし、屋敷への道を通り過ぎた。
風に乗ってきたらしい、道に落ちた桜の花弁を踏みつつ、連なる武家屋敷の先を行く。
陽は中天から少しだけ傾いている。この時間帯、在って良い筈の人の姿が何処にも見られない。元々、人通りの無い道だったのだろうが、今は誰もが、近寄りがたさを感じているのかもしれなかった。
殺風景な景色の中、三成は甘く熟れた匂いを嗅ぐ。
一昨年建てたばかりの寺に咲く、杏の花の香りだ。
”人を殺めました。私は、人を殺めました――。”
夜も明けきらぬ早朝。
この寺の門を叩き、女はそう叫んでいた。細い喉の何処から出るのかと思う程の大声で、未だ目覚めぬ城下へ響き渡らせていた。
足元に、豊臣御伽衆の一人、田沼甚左衛門の首を置いて。
三成は踵を返し、また歩み始める。
殺された田沼甚左衛門の家に向かう。
乾いた道に茶色く萎れた杏の花があった。
寺の門を叩いていた女はといった。
甚左衛門の元妻であった。
が寺に罪を言い出て一刻半、書面に筆を走らせていた三成の耳にこの一件の話が入ってきた。
甚左衛門を殺し、首を切り落とした女の名を知ると、筆は紙上で止まり、あと少しで書き上げる一枚に、たっぷりと含ませていた墨汁が水玉を作った。
(よくある名だ)
あの””ではない――。
そう思った。否、思い込もうとしたのだろう。
だが後日、黴臭い牢獄に詰め込まれている女を見た時、三成の胸を冷たいものが満たしていった。
罪人は、三成の知るであった。
は、石田村に産まれたのが三成よりも七年先の女であった。
寺の小僧をしていた当時の三成はと、三成と同い年であったの妹が仲睦まじく遊んでいる姿をよく見掛けている。
姉妹の容姿は成長における差を抜けば、瓜二つ、と言ったところで、の小さい頃は妹のようであっただろうし、妹が歳を取った姿はのようであったのだと思う。
だからなのかも、関係がないのかもしれないが、三成は姉妹を避けていた。会話らしい会話も、した覚えがない。
三成が秀吉の小姓となってすぐ、が妹を連れて田沼甚左衛門の元に嫁いだ。
縁談を取りまとめたのは三成が小僧をしていた観音寺の和尚であった。
或日、予てから付き合いのあった和尚と豪商人である甚左衛門が談義に花を咲かせていると、そこにが現れたのだという。
の父がその前に亡くなっている。
葬儀の礼を述べるべく和尚を訪ねたは、何年にも渡る父の看病ですっかり嫁ぎ遅れた歳であったが、その美しいことには変わりなかった。
甚左衛門は持っていた湯呑みを落とした。熱い茶が膝に掛かったが、まるで気付かぬ風らしい。
所謂、甚左衛門の”一目惚れ”であった。
和尚の後押しもあり、は甚左衛門の、
「嫁に来てほしい」
という婚姻の申し出を承諾した。
両親は死に、長年の看病で貯蓄は尽きた。女のみで暮らしの生計も建てられぬ様。
たった一人の家族を思えば、の選択は当然であった。
寺から甚左衛門の屋敷まで、然程距離は無かった。
黒塗りの戸を開けると、三成の後ろから春風が吹き込む。壁に当たって跳ね返ってきた空気が、血生臭い。
こういった事件の時、調べが終われば、大抵、近所や親戚の者達が現場を片付けるのだが、甚左衛門の屋敷はそのままであった。
玄関から見える壁という壁に黒い染みがあり、畳が、逃げ惑う甚左衛門の爪痕でささくれ立っている。
奥から続く血痕は、の手にぶら下がった甚左衛門の首から滴ったものだ。
この惨状に、首の無い甚左衛門と、胸を一突きにされたの妹の死体があった。
首を持ち、屋敷を出たは、血の海の中に何を見たのだろう。
懐かしき、石田村での思い出だろうか。
牢の中、両手両足に枷を付けられ、力無く壁にもたれ掛かる女は、三成の記憶にあると随分と変わってしまっていた。
濡れ羽のようであった髪は手入れをされずに乱れ、抜けるような白さの肌も、慈愛に満ちた黒い瞳も、何処かくすんで見える。
三成が村を出てからの、の過ごしてきた日々を想像するのは簡単であった。
三成は牢の前に立った。すると、人の気配に気付いたがゆっくりと顔を上げ、三成を捉えた。
微かに目が見開かれた。
「……醜いな」
そう言った。
の顔が一瞬、悲痛に歪んだ気がしたが、痩けた頬に落ちる影が、笑窪を作ったようにも見えた。
「くだらぬ女の感情で、身内を殺すとは」
あれほど大事にしていた妹を――。
は瞳を伏せ、確かに、口元に笑みを浮かべた。
聞くところによれば、に子が出来なかったのだと言う。
子が欲しかった甚左衛門は、老いたを捨て、と瓜二つ、年若きの妹を新妻として迎えた。
そして、妹が甚左衛門の子を身籠った。
それからすぐである。は甚左衛門の屋敷を訪問し、二人……否、三人を殺めたのだ。
「許せませんでした」
が言う。
「あの男は、非道い。生かしてはおけぬと思ったのです」
「妹と腹の子まで、殺す必要があったのか」
「ええ……。ありました、十分に……」
三成の言葉に頷くに、自らの過ちを悔いる様子は無かった。
「……昔の面影など、何処にも無いな」
幼き頃に見たとは、やはり違う女であるような気がした。
石田村のは、嫉妬という感情で、人を殺めたりなぞしなかった筈だ。実の妹を、手に掛けることなぞしなかった筈だ。
「貴方は、変わりませんね」
その時見たの瞳に、柔らかな光が湛えられていた。
記憶の中のも、この瞳をしていた。
甚左衛門の屋敷を後にした三成は、町を抜け、茶臼山の方角へ歩み始めた。
随分と歩くことになるが、それでも構わなかった。
という女を思い返すに、一人でいる時間は有ればあるだけ良かった。
最後にと会ったのは、刑執行日の前夜であった。
もう会わなくてもいいと思っていたが、別れ際に見た瞳の懐かしさが気掛かりとなって、夜中、供も付けずに牢獄まで走った。
は三成が来ることを知っていたようだった。
身形を整え、佇まいを直し、息を切らす三成を待っていた。
その表情の温かいこと。人を殺し、明朝、甚左衛門のように首を切られる女の姿とは思えなかった。
「俺に、言うことはないのか」
夜気に悴んだ手を握り締める。
息が白い。妙に冷え込んでいた。
「明日、やっと罪を償えます。ご迷惑をお掛けしました。本当に、申し訳……」
「違う。俺が聞きたいのは、そんなことではない」
「三成様……」
「何を隠している。一体、何があったのだ」
はかぶりを振った。
「何も……。何もありません」
「全て、三成様が知っている通りです。私が甚左衛門と、妹と、その子を殺めたのでございます。その他に、何もことはありません」
「有り得ん。貴様に妹を殺せるものか」
「事実、私が殺してしまったのです」
が話す度に漂う白い息が、の命のように見えた。
刻一刻と、死期が迫っているようであった。
「何が貴様にそうさせた」
「……」
は微笑み、顔を伏せた。
「憎しみです」
「誰へのだ」
女を見下ろし、三成は問うた。
再び顔を上げたの面は未だ消えぬ憎悪に染まっていた。
甚左衛門――。
怒りの籠った声が、暗闇に谺した。
「あの男だけは、許しません。一度殺したきりでは、全く足らない」
「何故、甚左衛門なのだ。貴様から甚左衛門を奪った妹は、憎くないのか」
「憎い筈がありません。妹を恨んだことなど、一度もありません」
(分からん)
三成は心の内で舌打ちをした。
の言うことが、一切理解出来ない。
憎くない妹を、何故殺したのか。
殺すのは、甚左衛門だけで良かったのではないか。
は変わっていない。他人を慈しむのままだ。妹を深く愛した、のままだ。
老い、窶れ、姿は変わったが、己を見る瞳は昔のままだ。
そんなが、このようなことを――。
途端、三成にある考えが過った。
握り締めていた拳を解き、格子に手を伸ばした。
「本当に貴様が妹を殺したのか。腹の子は、妹が望んでいたものだったのか」
よくある話だった。
主人が下女に手を出し、孕ませることなどは。
それが和姦であったか、強姦であったか。もし、強引な行為だったのならば、妹は心を病んだ筈だ。そして、唯一の家族である姉も傍からいなくなれば、尚更……。
「。妹を殺したのは、貴様ではなく……」
は応えなかった。
真っ直ぐに三成を見つめ、それからゆっくりと、頭を下げた。
「……」
「みなを言わないで下さいまし……。私は妹の誇りを、守らなければなりません」
「その罪までもを貴様が償うことは無い」
「しかし、同じなのです。私があの男を頼って嫁ぎ、私に子が出来なかった所為であのようなことが起こり……妹が死にました。私が妹を殺したも同然なのです」
「何が同じだ。今ならまだ間に合う、秀吉様に……」
「三成様」
去りかけた三成を呼び止めたは、懇願するような表情で、首を横に振った。
「これで良いのです。どうしても、私が人を殺めたことには変わりありません。私は罪を償います。償い、早く死にたい」
――死んで、妹に会いたい。
三成は何も応えなかった。
女の頬を伝う涙の、あまりの美しさに、言葉を失ったのだった。
に背を向け、三成は牢屋敷を出る。
月明かりによって暗天に浮かび上がったようになった大阪城が、三成を見下ろしている。
脚は一度、そちらの方向へ進み掛けたが、の悲しい笑みが瞼の裏に浮かび、それ以上進むことが出来なかった。
茶臼山の麓に着く頃、既に陽は落ち始めていた。
橙の濃淡がかった空に、鴉が飛び交っている。
三成の進む先に二人の子供がいた。恐らく、この近くに住んでいるのだろう。
足元に繁る白い野菊を、小さな両手いっぱいに摘んでいる。
三成は懐から小銭を取り、子供らから野菊を買った。
驚いた顔をした幼い姉妹が、
「お武家様も一緒に摘めばいいのに……」
三成の背後でそう言ったのが聴こえた。
三成は竹林に脚を踏み入れ、幹に刀傷を付けられた竹を見つけ、次に枝を折られたものを見つけ、そのような跡を辿って、林の奥へと進む。
糸ほどの陽しか射し込まぬ冷たい暗がりの中を、少しばかり歩けば、地面に、斜めに削ぎ落とされた枝が刺さっていた。枝先に、杏の花が付いている。
その傍に、白い野菊が手向けてあった。
三成はそこで立ち止まり、同じように花を手向けた。
”佐吉ちゃんは、優しいのよ”
いつか聞いたの言葉が、聴こえたような気がした。
城に戻る途中、見覚えのある後ろ姿を見付けて、三成はわざとらしく咳払いをした。
ぴくり、と反応した背が返り、三成の方へ向く。
「あぁ、殿」
「こんな所で何をしてる。また世間話か」
「いえ、殿の帰りが随分と遅いので、迎えに上がったんですよ」
「余計なお世話だ」
左近のすぐ横を通り過ぎる。その瞬間、三成は眉を潜めた。
後ろから付いてくる左近に、
「似合わんな」
「何がです?」
「貴様のような大男に、花の香りは似合わん」
左近は、
(あ……)
というような顔をし、己の着物に鼻を寄せた。
「全く……。貴様の忍びは、忍びのくせに口が軽い。代えた方が良いな」
「”内密に”、って言いました?そもそも俺の忍びですから、雇い主に訊かれれば、あいつらは話しちまいますよ」
「……そういえば、言ってなかった」
でしょう、と左近は笑う。
その後ろで、若い娘が店前の提灯に火を点していた。町は、徐々に夜のものとなっている。
「首ではなく……生きた殿を拐えと、命じなかったのは何故なんです?」
次々と灯されていく提灯を目で追う三成に、あの時その考えが一切無かったわけではない。
だが、生かすのが三成の望みであれば、死ぬのがの望みであった。
盗人、人殺し、姦婦と並んで晒されたの首は、今までの苦しみから解放され、微笑んでいるようにも見えた。
左近の問いに、三成は一拍を置いて、
「……人殺しだからだ。その罪を、命を持って償う他は無い」
と、応えた。
「首も晒された。あいつの償いはそれでもう良い。人目に、朽ちる様までもを見せずとも良いのだ」
既に、十分であったのだ。
甚左衛門を殺した罪はそれで償われ、次には、妹の為に全てを成し、生きたは、静かな地で弔われるべきであった。
妹への愛の強さを、称賛されるべきであった。
三成の言葉に、左近は深く頷いた。
同じことを思う――と、言っているような表情であった。
「俺は、詳しいことは何も知りません。只、田沼甚左衛門が外面は良いが、家では結構な振舞いをする男だったというのを知っただけです」
「殿に同情も、したことに対し庇い伊達をする気もありませんがね。俺は花を手向けずにはいられなかった」
何故――と、三成は訊かなかった。
己は平常を装っていたつもりだったが、左近はそれに隠れず見えた僅かな揺らぎをも看破し、事件について模索をした。
がどんな女であるか……それより、主君にとってどんな女であったか、左近は思っただろう。
己自身の揺らぎの理由も、左近が花を手向けた理由も、三成は分かっていた。
あの頃石田村で――。
差し出される花に、此方を手招く華奢な白い指先に、笑顔に、透き通るような声に、この頃から愛想など知らぬ幼き三成は、それに応えることなくそっぽを向いていた。
「佐吉ちゃん」
そのように呼ばれ苛立っていたのも、今思えばくだらない理由であった。
「――殿、どうします?屋敷へお戻りに?」
三成は左近の問い掛けにかぶりを振り、
「付き合え、左近」
人で賑わい始めた通りを、贔屓にしている料理屋に向けて歩いていった。
14.1.18
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