NOVEL  >>  Long Story  >>  story 01
炎と黒煙
ドリーム小説 或夜、黒い空を焦がすように、炎が高く燃え上がっていた。
この夜がまだ明るかった頃に――つまり、昼間時の話である。
からりと晴れた空の下に、本来の身長の半分くらいに腰を曲げた老人と、その隣で牛を引く若い男がいた。
端から見ればこの老人と男は親子のように見え、二人は互いに言葉掛けることなく、青い林道を進んでいる。
老人はこの日射しが眩しいのか、土で汚れたぼろ布を頭に被り、顔を伏せていた。それ故に、目元は影に隠れて、面は鼻から下の皺だらけの部分だけが見える。皺の一本一本の溝に、汚れた汗水が埋まっていた。
数日前に処暑を迎え、茹だるような厳しい暑さは治まってきていたが、今日、夏の日射しは復活している。
視線の先で陽炎も見える。
額から染みる汗を袖で拭いながら、顔を伏せ地面を睨んでいた若い男が、顔を上げた。
老人と男の進む先から、笠を深く被った一人の男が出てきた。
旅僧である。
ぼそぼそと経を唱えながら、二人が進む反対側の道脇に沿って、歩んでいる。鋭い日射しの下にも関わらず、法衣から覗く肌には脂が無く、まるで涼しげであった。
すれ違った。
互いが互いを気にする様子もなく、そのまま通り過ぎて離れる。
実は、親子は二人共、他人からは見れぬ程度で、ぴくり、と一瞬反応したのだが、それも気のせいだと思ったらしい。また新しい脚を踏み出す時にはその一瞬の感覚を忘れてしまったのだろう。

(……ほう)

牛の尻が人の頭程に見えるようになった所で、旅僧が歩みを止め、後ろを振り向いた。

(何かあるな)

笠から覗く瞳は強く光っており、それは”僧”のものではなかった。
男は林の中に素早く切れ込み、二人を追い抜くように、風を切って走りだした。

この男がいつの間にか姿を変え、一つ山を越えた浜松城に現れたのは、あの二人を見掛けてから半刻も経たない頃である。

「頭領」

城主、徳川家康が控える座敷の壁の奥に、旅僧の格好から黒い装束姿に変わった男はその空間に滲み出るように姿を現した。
壁に向かい立っていた男の傍に寄り、小さく踞る。
声掛けられた男は壁に向けていた躯を振り向かせた。
この振り向いた人物――名を服部半蔵と言う。
男は、細身ながらも男らしい厚みを持つ躯を、深い紺色の装束で包んでいる。
顔面を隠すように布を巻き、そこから覗く双眸の右の瞼には斜めに、高い鼻梁にはそれを横切るように細い傷跡が走っている。
形の良い唇は、布越しでもそれが分かった。
半蔵は徳川に仕える伊賀衆を統率する、有能な忍びである。主である家康、同じく徳川家家臣の本多忠勝や配下の忍び達から絶大な信頼を寄せられている存在であった。
男は筋が浮かぶ両腕を胸の前で組んだまま、その切れ長の瞳で、己を呼んだ忍びを捉えた。

あの親子と会ったかつての旅僧は、半蔵の下で働く伊賀忍である。名を助八という、二十を過ぎたばかりの若者だ。

「どうやら、この周りに忍び達が集まっているようです」
「数は」
「俺が見掛けたのは二人。他の者からも二人、一人、一人との報告が」

顔を伏せたままの助八が、半蔵へそう述べる。
あの老人と男は忍びであった。
助八はそれを看破した。
忍びは変装を得意とする。
農民や商人、僧、旅芸人、武士、乞食などと姿を変え、その為に身形は勿論のこと、他に顔面に泥を塗り老いた肌を作ったり、飲食を断ち痩せ細ったり、肥えたり、髪や髭を伸ばし放題にしたり……忍びはそうやって化けた。
半蔵は助八の言葉に頷くと、

「今宵、動きがある」

特に驚く様子もなく、まるでそれを予期してたかのように答えた。
そして「如何致しましょう」という助八の問いに、

「俺が行く」

と、この男の特徴とも言える、ほとんど抑揚の無い声で答えた。
伊賀衆を率いる半蔵は、このような有事の際、自らが直々に動くのだ。

「護衛は任せよう」
「はっ」

面を上げた助八は、一瞬黒い柱になって、姿を消した。



日は直ぐに暮れ、辺りは暗い闇に包まれた。
浜松城の裏に位置する大きく広がった森の楠の枝に、半蔵はいた。
忍び、ある一点を見つめている。
上から見れば、まるで波打っているように見えるこの森の、城とは反対側の所に小さな廃寺があった。
森林を背に回すように建っており、瓦は剥がれ木の壁は長年の風雨に当てられて腐り崩れている。
半蔵はそれを、陽が落ちる頃から、見下ろしていた。
暫くすると、鞠のように跳ねるものが来る。黒い影が次々と飛んできては、吸い込まれるように廃寺の中へ入っていった。
半蔵は全ての影が収まったことを確認すると、足場の枝を蹴り、暗闇へと溶けこんだ。



「いつあの家康を殺るのだ」

黴臭い空気が微かに震えた。
暗がりに存在する六つの影は一人を中心にして、残りの者は向き合うようにしていた。

「焦るな。迂闊に動けば達せられぬ」

これに続いて、

「だが慎重過ぎては時を逃すぞ」
「家康は織田の次男と伊賀に攻め入るようだから、その時の混乱に乗じては」
「こんなに近くにいるというのに、それまで待てるか。明日だ。明日殺ろう」

と、音が鳴った。
黒の中で幾つもの瞳が光っている。
瞬き、闇の中にいる同志を見合った。

「元信様の無念を晴らす時じゃ」

強い意思のある声であった。

今年三月、織田信長の傘下にいる徳川家康は武田方の高天神城を攻め落としている。
信長の指示を受け、家康はその昨年の暮れから高天神城への兵糧攻めを開始した。
高天神城の城将である岡部元信は主の武田勝頼へ救援要請するも、勝頼は援軍を出さなかった。
この時、勝頼は信長との和睦交渉を行っていた。
その中で高天神城に援軍を出せば、それは十分に信長を刺激することになり、武田と織田の和睦は叶うことがない。それ故、援軍を出すことが出来なかった。
援軍が来ないのを知った元信は何度か降伏を申し入れたのだが、家康はそれを拒否。

「高天神城の降伏を許すな」

これも織田信長の指示であった。

勝頼が援軍を出せないということを分かっていた信長は、高天神城の降伏を却下させることで”勝頼は高天神城を見殺しにした”と勝頼の武威と信頼を失墜させることを狙ったのだ。
十ヶ月による兵糧攻めにより城兵の多くが餓死。そして三月末に岡部元信と残りの兵らは城を打って出るも、徳川軍の前に全滅した。
地に伏せる死体達は、まるで骨と皮だけだったという。

浜松に集結した忍び達は、信長から家康へあのような言葉があったとも知らず、降伏を却下し続けた家康を恨み、それに駆られ集まった、武田の忍びであった。

「しかし家康は伊賀忍を従えておる。上手くいくか……」
「何を言う。我等も同じ忍びだ。寝所に忍びこみ、家康の首を掻き切ってやろうぞ」

興奮したのかやや声大きめにそう言った。双眸が見開かれる。

――落ち着かれよ。

他の忍びがそう意見しようと口を開いた。
しかし、家康への怒りにいきりだっていた瞳が、突如、

「う……っ!」

呻きと噴き出す液体の音と共に消えた。

「!!」

どすん、と音を起てて仲間の躯が仰向けに倒れる。
何処から何が飛んできたのか、肩から胸へ大きく、深く斬りつけられていた。
武田の忍び達は一斉に壁を破り、寺を飛び出した。
ある者は地面を這い、ある者は枝に飛び付き、ある者は空へと跳び、暗闇に目を巡らせる。

(伊賀忍だ……)

空へ跳んだ男は、己らを襲った者を捉えようと必死に黒の中を探した。
何処の忍びでも”伊賀忍”というものを知っている。そして彼らの高い能力を、恐れていた。
後ろで風を切る音がする。

(そこか!)

胸元から素早く飛苦無を取りだし躯を捩る。指の間に挟んだ三本の飛苦無を振り向く上半身の遠心力によって飛ばそうとした。
だが捩きる前に、男の首は、すぱりと胴と切り離された。頭と胴とが別々に落ち、最後にびしゃりと血が落ちる。
それを見て舌打ちし、地にいた男が叫んだ。

「散れ!!」

他の者達はその言葉で”己らが敵わぬ相手”が敵だということを知る。皆が森の中に飛び込もうと地を蹴った。
脳髄の一本の糸が引かれた。
忍び達は命の危険を感じ身構えるが、鎖の音が耳に入ったの封切りに、皆がほぼ一斉にもんどりをうって地面に落ちた。月明かりによって、男達の躯から血煙が上がるのが見える。
先程声を上げた男だけが攻撃を受けず、血を流し倒れる仲間を横目にして森へ走った。

(畜生……!)

男の作る風に靡き、鳴る葉の音が、くすくすと、女の笑い声のようであった。
入って三間程走った時、目の前に影が飛び出した。
反射で男は背から忍刀を引き抜くと、それを己の前で横に構える。間一髪で、己の首を狙った刃とぶつかり、この男は強い力を受け止めた衝撃によって、再度森の外へと弾き出された。
固い土の上に叩き付けられ、転がり、忍刀を地面に突き刺してその動きを止める。

(く……っ)

握る刀は敵の刃を受けた所で真っ二つに折れてしまっていた。
横にはこの男のかつての仲間達が肉片と化している。
家康を狙い集まった武田の忍びの、六人いたうち五人が死んだ。この男が最後である。
男はがちがちと歯を噛み、

「お、おのれ……!」

折れた刀を捨て、隣にあった死体の腰から刀を引き抜いた。ゆっくりと立ち上がる。

黒闇に、一人だけとなった男の荒れた呼吸が響く。
森が辺りを覆う。
月が目を細めている。
不気味な静寂だ。
男の息の音だけで、他は何も聴こえない。
あの時助八とすれ違った、殺気を纏いながら歩いてた若い男は無様にも”それ”を失っていた。
忍びが相手を殺すことを諦め、恐怖に心を埋められてしまうのは、死を意味した。

(畜生……畜生……!!)

風が吹いた。
冷たい空気がするりと躯を包むように抜け、背後で止まる。男の後ろ首から勢いよく、鮮血が噴き出した。

(やられた……!)

全身に痛みが走る。
男は手から刀を落とし、血の噴き出る首を押さえた。だが、どうにもならない。頭の付け根から肩の高さにかけて口を開くように大きく裂けている。
男は落ちた刀の上に倒れ込んだ。
姿の見えぬ相手への恐怖に満ちていた瞳から光が失われていく。血が男の周りに広がるのと比例して躯の力が抜け、己の返り血を浴びた腕が血溜りの上に落ちた。
くすんだ瞳に、血に濡れた者が映る。



大きな鎖鎌を右手に、半蔵は己の鼻梁に掛かった血を拭った。
武田の忍び達は相手が複数だと思っていたが、この服部半蔵という男は群れなかった。
この男は下に伊賀衆を率いているとはいえ、大抵を諜報に使うのみである。
半蔵は血に濡れた手で倒れる死体の胸ぐらを掴むと、その躯を廃寺へと投げこんだ。
そして装束の合わせ目に腕を突っ込み、平たく白い陶器を取り出した。
これは瓶を横に潰した形をしており、瓶は重みを持って、容器の中を何かの液体が満たしている。
半蔵がそれを死体の傍に投げ付けるとたちまちに火が上がり、崩れた柱が燃え上がった。
同じように寺の周りに散らばる忍び達の躯を火の中へ投げ、最後に、また一つ同じ陶器を取り出して先程のを追うようにすれば、炎は一気に大きくなり廃寺をあっという間に包み込んだ。
黒い煙を上げて燃える寺を前に、半蔵は今宵の任を終えた。

――鬼半蔵。

この男の戦いぶりを評した名だ。
一瞬の内に敵を殺し、主の命であればどのような任もこなし、誰であっても殺す。言葉話さず表情も変えず、与えられた命の為に、戦場を、躯を血で真っ赤に染める半蔵はまさに鬼の名に相応しいと。
赤に身を包み炎に照らされ、死に染まった鋭い双眸を持つ半蔵は、確かに――鬼のようであった。

「……」

半蔵は微かな足音を拾った。視線を目の前の炎から森へと移動させ、鎌を握る手に再び力を込める。
その方向を見据えながら炎を背に回すと、森の中から小さなものが顔を出した。
空には三日月が浮かんでいる。月光と燃え上がる炎の明かりを受け姿を現したそれは、一人の娘であった。
半蔵はその場から姿を消し、娘の背後に音も無く現れた。
娘は後ろにいる存在に気付かず、躯を前に傾けて、半蔵へ己の首を差し出すかのように肌を晒していた。
左手を、その首へ降り下ろす。
娘は打撃を受け、地面へと崩れ落ちた。
半蔵の足元で倒れるこの娘が、である。
男はの腕を掴み、軽々と躯を持ち上げると小脇に抱え、その場から消え去った。
炎は止まることを知らずに黒い闇に燃え上がり続けている。
この炎が燃え尽きた早朝、武田の忍び達を殲滅した半蔵は意識の無い娘を抱えて主の前へと参じた。


13.4.16





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