NOVEL  >>  Long Story  >>  story 01
陽炎

ドリーム小説 「えっ」

青年は箸先にあった沢庵を、ぽとり、と膝の上に落とした。

を、ここに住まわせるのですか」

助八の眠たげな瞳が通常の大きさとなり、先に言われた半蔵の言葉に驚いている様子であるが、口角は上がって、大体が笑顔である。

「どうして……いや、嬉しいのですが、まさか頭領がそう言われるとは思ってもいなくて……」

昼近くである。
葉を失った庭の木の枝は、冷たい風に吹かれ、何処か寂しい雰囲気を醸し出していた。対照的に、秋や冬の寒さに強い山茶花の花が、屋敷の寂しさを埋めるように色を出している。
半蔵の配下である助八は、遠方へ、忍具、薬の調達に行くべく、腹ごしらえをしていた。
戦の前後に消耗品を揃えるのが助八の役目の一つである。
それ故、伊賀攻めの後、いつも通りに小屋の忍具、戸棚にある薬の数を調べて必要数を出し、こうしていた。
その頃合いを見て起き出した半蔵が、この青年に言った。

”あれを屋敷に置く”、と。

あれ、とはのことであった。
青年の膝の上の沢庵は、未だそこに置かれたままだ。
半蔵は一人感嘆する助八の前に座り込むと、

「何故だか分かるか」

問い掛けた。
男の無の表情に、先程まで緩んでいた助八の面が固まる。
これは、ぎくり、とした感じであり、己の罪を知っている者にしか出来ない表情であった。

「心当たりが」
「えっと……」
「お主が教えたゆえ、あれは屋敷の勝手を知っている」
「……はい」
「分かるか」
「す、すみません……」

青年は額を床につけた。土下座である。
二月の間、助八はを”同じ屋敷に住まう人物”として扱っていた為、は屋敷内を、不便が無い程に知っていた。を手放すと決めた半蔵であるが、忍びの住まいを詳しく知られているのは、実際、厳しいことであった。相手がただの娘であるとはいえ、万が一を考えるとまずい。
だからと言って、これ以上屋敷に閉じ込めるわけにもいかず、ここは仕方がない、と娘の自由を優先することにした。
ところが、この時から数刻前の早朝。は”まことの眼”を持って、半蔵に言った。

「私、働きます。迷惑も掛けません。だから、ここに居させてもらえませんか」

私には行く場所が無い、と。
半蔵が”屋敷の外に出すのはまずい”と思っていることに、それは丁度良い要望であった。
だが、その願いを「ならぬ」と却下した。
が”人”だからだ。
半蔵の屋敷は忍びが住む場所であり、そして、居場所が無いから住まわせてやる、という便利な場所でもない。
娘は己の願いが叶わないのを予測しつつ、

(もしかしたら……)

という少しの期待をしてしまっていたようだ。
落胆した。
悲しみがの面を染める。
それを半蔵に見せないように俯いたが、伏せられた黒い睫毛は涙が滴っているように、寂しげな光を帯びていた。
その小さく、脆い姿に、半蔵はが山賊に襲われた時のことを思い出した。
もしあの時、半蔵が助けなければ、はあのまま男達に拐われ、酷い仕打ちを受けていただろう。

(捨てれば)

また、同じことが起きる。
脳裏に、娘の両手に滲む、赤い血が浮かんだ。
半蔵はこれに意思を変えた。
無意識にであった。

――これが、の流した涙と同じ……以前半蔵が、己が己でいる為に切り捨てたものだというのを、本人は気付いていなかった。
もしくは、男の肉にどっぷりと染みこんだ忍びの血が、気付かないふりをさせたのかもしれない。

「……好きにしろ」

再び上げられたの顔は、朝の眩い光を浴び、更に肌を白く見せていた。
半蔵の言葉を理解すると、頬をほんのりと色付かせ、瞳を輝かせた。

”忍びの住まいを知られた”

”ここにいたい”

両者の求めるものが、一致しているわけである。
決して正しい選択ではないと知りつつも、半蔵はが屋敷に留まることを許した。



「何か話したか」
「ま、まさか。流石に俺達のことや、仕事のことは話してません」

青年は両手を振る。

「最初は、ちゃんと、やってたんです。でも、毎日毎日部屋の中に閉じ込めているのは可哀想で……。庭の景色だけでも……」
「それがつのったと」
「いつしか、色んな所へ……」

半蔵はこの青年を更に言及しようとしたが、閉口した。既に済んだことである。
そして畳に長い指を擦らせながら腰を上げて、

「このままでは、お主は変われぬ」

漸く沢庵を拾った助八に、言った。
縮こまった白い大根を摘まむ彼は、苦い顔をしている。
それから、もうその話は止めにして、

「あれは何処に行った」

起き掛けでの姿を見掛けていない男は、の”友”である青年にそれを訊ねた。

は、多分……」

助八が立ち上がろうとした時、庭の奥から小さな悲鳴と物音が聴こえてきた。
二人が顔を見合わせ、廊下へ出て外を覗くと、奥にある鳩小屋で何かが暴れている様子である。

「……」
「えっと……頭領が留守の間、鳩の世話を教えて……」
「……」
「あの子、だいぶ仕事を覚えてきたんですよ……はは……」

青年はいつの間にか、己のしたことを誤魔化すように、茶碗と箸を持ち直して口の中へ米を掻き込んでいる。
半蔵が無言で助八を見ると、青年は、ばつが悪そうに視線を逸らして、

「で、では、行ってきます」

と、足早に立ち去ってしまった。

鳩の羽音と娘の悲鳴が庭に響いている。
半蔵はゆっくりと息を吐き出すと、呆れたように、それに背を向けた。



「や、やめて!痛っ!ごめんなさい!」

娘の声を取り囲むように、白と灰色の羽が蒲公英の綿毛のように空を舞っていた。
地面に落ちたものも度々舞い上がり、空気の流れに逸って揺らめいている。
その中で、黒髪が目立つ。
鳩の嘴に弄ばれ毛先が跳ねた長髪は、右へ左へ、麦の穂のように靡いて小屋の中を走り回る。

「い、いいたたたっ!ちょっと掃くだけだからっ、綺麗にするだけだからっ!」

の肌をつつき、髪を引いていた鳩達が、一瞬、小屋の外へ首を回してから大人しくなった。
土砂降りの雨のように続いていた攻撃が収まり、娘は頭部を守っていた両腕を解いて、不思議そうに、鳩が見た戸の方を向く。
舞い上がる羽の奥から男が背を屈めて、小屋の中に入ってきた。
半蔵は小屋の内部を見渡すと、その変わらぬ表情の奥に微妙な心情を潜めて、顔に掛かった羽を払った。

この鳩小屋は横に二間、縦に一間程の広さである。
横の壁は格子状になっており、そこから細長い陽の光が射し込み、小屋の中を照らしていた。区切られた箱に一羽ずつ収まる十数羽の鳩は、所謂”伝書鳩”というものであった。
この頃はあまり伝書鳩は普及していなかったが、忍び達は己らの脚よりも遥かに速い鳥を、連絡手段として率先し使っていたのである。
これらは飼い慣らされた鳩であった。
それ故、半蔵や助八、屋敷に住まう他の人物達にちょっかいを出すことは一度も無かったのだが、の扱いは違う。
地面に落ちていた箒を拾ったが、

「き、嫌われてるみたいなんです」

眉を八の字にし、叱られるのを悟った子犬のように躯を小さくして、半蔵を見上げた。
酷い状態である。
鳩の羽は未だひらひらと空を舞っており、板の上の鳩達は餌箱の中に入って、中身を蹴り散らしている。
半蔵の横でそのようなことをする鳩はいないが、の横から後ろまで、鳩の粗相が見える。

「否……。遊ばれている」

奥の鳩を一瞥すると、悪さをしていた鳩は漸く動きを止めた。も振り向いてそれを確認し、

「そうなんですね」

肩を落とした。

半蔵がいる内は、いつもの静かな鳩達である。
はその間に羽や糞、撒き散らされた餌を掃き出し、飲み水を変えてやり、また新たな餌を置いてやった。
半蔵から先に小屋から出ると、その瞬間から鳩は目掛けて翔んできた。
慌てて脱し、鉄の鍵を掛ける。

「あ、ありがとうございました」

既に背を向けていた半蔵に、が頭を下げた。

「……応」

今日、半蔵は屋敷で一日を過ごす予定であった。
伊賀攻めの間、殆ど眠らずに走り回っていた半蔵の躯を気遣い、家康が半ば強引に休みを取らせたのである。
助八は出掛け、屋敷に通う男達も助八に付き添っていき、下女の双子も伊賀に置いてきた両親が心配で、早朝、馬を駆けさせていった。
それ故、屋敷にいるのは半蔵との二人だけであった。
半蔵が縁側に腰を下ろすと、娘は箒を小屋の壁に立て掛け、その隣に座る。
場所、時さえは違うが、二人が並ぶ姿はまるで早朝の景色である。

「あの……」

半蔵が枯れ草を見つめていると、声が掛かった。
は長い睫毛を瞬かせ、それは頬に少しの薄い影を落としている。
やがて適度な水分を持つ瞳が、半蔵の着物から覗く、包帯が巻かれた腕に向けられた。

「……危ないことを、してるんですか?」

半蔵は一瞬、その問いがどれに対してされたものなのか、分からなかった。
娘の視線からそれを理解し、左の人差し指で娘が巻いた歪な包帯を撫でると、その不安げな瞳を見つめ、頷いた。

「お主にとっては」

忍びの半蔵にとって、全てがただの任務であった。
それを危ないだとか、簡単だとか、己に降り掛かる危機の大きさを、この男は考えたことがなかった。
だが、客観的に考えれば、”人”にとっては危ないことなのだろう、と半蔵は思った。

娘は、半蔵が忍びだということに気が付いている。
身形もそうだが、姿を一瞬にして消して見せたり、現れてみせたり、常人を越えた能力を見せているから、それは至極当然のことであった。
が更に口を開こうとした。
二人の頭上から羽ばたきが聴こえてきた。

「わっ」

それはの頭に着地した。
艶のある髪の上で舞を踊るように動くのは、一羽の白い鳩である。

「な、なんでっ」

慌てるの頭に、半蔵が腕を伸ばす。
すると、鳩は小さく跳ねて、男の腕に飛び乗った。
鳩の細い脚に紙が結ばれていた。
半蔵がそれを解き、開いて文字を読むと、胸元へ仕舞う。

「わぁ」

娘が声を洩らす。

「あの小屋の鳩がみんな、こうやって手紙を持ってくるんですね」
「応」
「すごいなぁ。私だったら道に迷っちゃうのに……」

半蔵の腕から膝の上に降りた鳩は、半蔵に首元を撫でられると、気持ち良さそうに目を細めて、鳴いてみせた。
は身を乗り出して、その様をじっと観察している。
鳩が視線に気付き、に向いた。
毎度鳩に苛められていることもあり、娘は一瞬身構えたが、この鳩は半蔵の膝から跳んで、の膝上に乗っかってきた。
隙間ないように引かれていた桃色の唇が、緩み、弧を描く。
恐る恐る、が鳩に指を差し出して撫でると、鳩は半蔵にされた時と同じく、うっとりとした眼をする。

「良かった」

が言う。

「またつつかれるかと」

満面の笑みを半蔵に向けて言った後、白い鳩はの肩に移動した。そして、黒髪と首筋の間に頭を突っ込んだかと思うと……。

「い、いたたっ」
「……」

一束の髪を掴み、空を翔んだ。

気を許したかと思いきや、鳩はやはりで遊びたいらしい。(もしくは本当に嫌われている。)
半蔵はの髪を辿り、鳩の嘴からそれを取り返した。
柔らかい髪は半蔵の指の間で垂れ、また、ふわりと甘い匂いを香らせていた。 半蔵とが出会った時”人の匂い”と言ったものである。
指を広げ髪を離すと、手の平を撫でるように滑り落ちて、娘の薄い肩へ落ちる。
白い鳩は小屋の屋根に翔んでいた。

――この匂いは、何であったか。

半蔵の記憶の中に、覚えがあった。
から香る”人の匂い”はいつしか嗅いだことがある。
今日だったか、昨日だったか、それとも何年も昔のことだったか……。
夏の日に地面で揺らぐ陽炎を追い掛けても、決してそれに追い付かないように、確かに見えているが、これを掴むことが出来ない。

この思いの視線の先で、は頬を赤くし、微笑んだ。
この時初めて、半蔵はを見た。空気が澄んだ秋の陽の下、こうして優しい笑みを浮かべる姿が、この娘の、本来の姿なのだと思った。



それから半蔵が屋敷にいるときには、男はの鳩の世話に付き添っていた。次第に鳩もに慣れてきて、髪を引っ張ることも肌をつつくことも餌を散らかすことも無くなった。

「最近、鳩に苛められたと言わないな」

いつか助八が訊いたら、は視線を泳がせ、

「はい、そうなんです」

熱でもあるような肌色をして、嬉しそうに頷いたらしい。


13.5.12





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