NOVEL  >>  Long Story  >>  story 01
瑠璃の針
ドリーム小説 人が深い眠りに就いている頃。極めて冬に近い秋の庭で、葉の無い梢が大きく揺れていた。
これと共に、枯葉や土埃も舞っている。
浮かぶ雲も、いつの間にか空から姿を消している。
夜闇の中で、びゅうびゅう、と鋭い風の音だけが響いており、障子一枚を通り抜け、屋内ででも響き渡っていた。

この音を耳に入れながら、布団の上に座り膝を抱えた格好で、じっ、と障子を眺めている者がいる。
胸まである髪を背に垂らし、黒の髪が映える、真白い寝着に身を包んでいた。
寝灯の明かりはない。
代わりに、月の光があった。
その者は障子に滲む、月明かりを眺めている。
やがて……。畳の上を這うように進み、障子へと近付いた。
その姿が光に照らされる。
この者は細い木枠の影を肌に受けながら、外との隔たりを開け放った。
そして、青白い月明かりによって姿を見せたのは、今より三月程前……夏が終わりかけていた夜にこの地へ現れた、という娘である。

遠方から訪れた、というわけではない。
天正九年であるこの時の、遥か先の未来から、訪れた。
故意に……ではなかった。

暗い空にある大きな満月を仰ぎ見ながら、娘はその月の形を手掛かりにして、戦国時代に来てから今日までのことを思い起こした。



あの夜――浮かぶ月は目を細めたように鋭かった。
は森の中で目覚めた。
見覚えのない景色に動揺しながらさ迷っていた所を、主の命を狙いにきた忍び達を殲滅し、同じ森にいた、徳川家康の懐刀、服部半蔵という忍びに捕らえられた。
二人の出会いであった。

次の朝、意識を失っているは家康の前に出された後、素性が知れぬ為、半蔵の屋敷にて監禁状態となる。
勿論、でさえ、当初は時を越えたという事実を知らない。
それ故に、半蔵の当て身、そして眠り薬の効果から再び目を開けた時には、

(なんとも古風な人達に誘拐されてしまった……)

と、思った。
そして、初めて瞳に映した半蔵に、底知れぬ恐怖を抱いた。
娘にとって、半蔵は”死”の象徴であったからだ。
こうした恐怖に背を押されたは、半蔵の不在時に、見事に屋敷からの脱走を成す。
の見張りを任せられていた助八という忍びの、忍びらしくない情に、この脱走は助けられたと言っていい。

「未熟だ」

幾度となく半蔵に咎められ、助八は己の甘さを理解しつつも、行動を起こす時、情に任せ言葉を発する時には、それを忘れている。

後に、

(ああ、やってしまった)

と、項垂れるのである。
屋敷の外を見たは、漸く、己は”時を越えて”此処へいるのだ、ということを理解した。
当然のように、茫然自失となる。
そこを更に追い詰めるように、人気の無い道を一人きりで歩くこの娘を、山賊が襲った。
三人の男に追われ、逃げの果てに一人の男に馬乗りになられた時には、全てを覚悟をした。
この時のことを、

「あの時、半蔵様が助けてくれなかったら……」

と、後に、は酒に酔うと必ずこの話をする。

「応」

半蔵が何時もと同じように応えれば、にこにこと少女の笑みを浮かばせた。

は山賊に襲われるも、寸のところで、半蔵に救われたのである。
これから長く続くと半蔵の関係を見渡せば、この出来事はと半蔵にとって大きなものであっただろう。
この日、の半蔵に対する恐怖は”全て”消え去ったのだ。

半蔵が故郷である伊賀の里に向かったのは、この次の日の早朝であった。
織田信長の次男――織田信雄による二度目の伊賀討伐に、徳川も加わることとなったからである。
第二次天正伊賀の乱と呼ばれるこの戦いの元は、この時から二年前に起こった伊賀攻めでの、信雄率いる織田軍の伊賀への大敗であろう。

「うぬは身勝手に軍を動かし、柘植をも失った。伊賀については、迂闊に手を出すなと言っておいたに……」

子信雄の独断による伊賀攻めで重臣である柘植保重が死に、信長は面さえは無であるものの、黒々とした眼から底知れぬ怒気を放ち、

「子であろうと、情けはかけぬ」

遂には、”親子の縁を切ってもよい”と信雄を脅し、叱りつけた。
第六天魔王と言われる信長である。
信長が持つ”何か”には、子である信雄さえもが恐れ、また、憧れていたのが事実である。

(伊賀を攻め、見事に地を手に入れて見せれば、父上もさぞお喜びになるであろう。そして、俺も”第六天魔王の息子”だと、証明をしてやるのだ)

こう思って伊賀に攻めいった信雄は、惨敗の結果に酷く悔しがった。
父に認められるどころか、

「やはり、茶筅丸よ」

鼻で笑われた。
ここで、信雄の伊賀に向ける恨みは谷底のように深く、篝火を焚いたように轟々と燃え上がった。
こうあって、信長からこれの挽回の機を受けた信雄は、家康を呼びつけて二度目の伊賀への侵攻を決めたのである。

「信雄殿の私怨にて、我が家臣の故郷、伊賀の里を滅ぼすのは惜しい」

家康は唸り、そして半蔵に密命を託した。

「誰にも気付かれぬように、伊賀の者達を救いだすのだ」

第二次天正伊賀の乱は、激戦となった。
味方である筈の徳川の忍びは密かに織田の者を手に掛けているし、途中で出陣予定の無かった信長が姿を現すし、これを、

「信長と家康を討つ、好機!」

と、真田幸村という名の若武者、それに付き従うくのいち、争いを好む関東一の忍びである風魔小太郎までもが参戦したのである。

伊賀者を救うことは出来たが、それも極僅かであった。

こうして二月ぶりに屋敷に戻ってきた半蔵は、疲労していた。
夜も、そろそろ明けるだろうという頃であった。暗く青い空に、ぼんやりと欠けた月が浮かんでいたのをは覚えている。
半蔵とは、言葉を交わした。
半蔵の傷の手当てをしながら、は傷の痛みを思って涙し、半蔵はその涙に、は悪意を持って徳川の地に現れたのではない、と、二月前の山賊に襲われた時のことと合わせて、確信した。

「此処に、いさせてもらえませんか」

本来なら断るべきの要望も、結局は、認めてしまった。
の見張り役の筈であった助八によって、は屋敷内を不便なく知り尽くしていた。
何かを企んで現れたのではない、と分かってはいたが、屋敷に住む忍び以外の者が把握しているのは、問題であった。
それに、このを一人で屋敷外へ出すことに、

(再び、襲われたなら)

と、考えたのも本音であった。
これに、は半蔵の屋敷で暮らすことを許されたのである。
それからは記憶も新しい。
がこの戦国時代から浮いていることに気が付くのも、この頃からであった。
どうして世の”異物”となるが、存在しているのか。
何があって”異物”となっているのか。
その応えは濃い霧に包まれていた。
これが晴れたのは、綺麗な朝焼けが見えた、強く、雨の降る日のことである。

「もし、今よりも、もっと先の時から……。私が、何百年もの先の時から、此処へ来てしまったと言ったら……」

今までの思いが溢れだすように、涙を流しながらこう言ったを、半蔵は疑いもしなかった。
合点がいったのだ。
娘の言葉と、己の推測に。
は今まで隠してきた真実を、半蔵へ吐露した。
目覚めたらあの森にいたこと。どうしてこうなったのか分からないということ。
泣きながら、半蔵の手の温もりを背に感じながら、己の全てを話した。



(綺麗……)

今宵、空には雲一つ無く、満月と、それから放たれる眩しい程の月明かりによって光る、硝子を砕いたような星の輝きのみが存在していた。
開け放った障子の隙間からは土臭い風が入り込んできており、縁側へ上体を出す姿勢のの黒髪は、風に引かれて夜の闇に靡いている。
そろそろ、冬になろうとしている時期である。
氷の上を吹いたような風は躯の奥底までも冷やしきってしまうようであった。
月を見上げ、まるで互いが見つめあっていると、風に紛れ、葉が不自然に擦れた音が聴こえてきた。
は視線を庭の木々へと向け、それから、屋敷の塀の外に広がる林の奥を見つめた。
葉が幾重にも重なったところから、に向け、視線が注がれていた。
栗鼠や鳥の眼差しではなかった。
己よりも大きな体躯を持つ者からの眼差しであった。
普通ならば怯えるところ、何故かは恐怖を抱かなかった。
寧ろ、

(寒くないのかな)

と、寒風に晒される身を案じたのである。
普段よりも更に明るい月の光があるとはいえ、今は深い夜だ。
はその者の姿を視界に捉えようと、身を乗り出した。
だが、一瞬、強い風が吹く。
反射的に目を閉じ、再度ゆっくりと開いた時には、既にあの眼差しを感じることは無かった。

(……?)

また、風の音が目立つ夜の景色となっていた。
疑問符を浮かべながら、躯を部屋の中に納めてからである。
次には、の背後から板の軋む音が響いてきた。の室へと近付いてくる。

(もしかして……)

木々の影から此方を見ていた者かもしれない。
にわかな緊張をする。

至って静かに、襖は開けられた。
姿を現したのは、この屋敷の主人――服部半蔵であった。
の躯の強張りが解れていった。

「おかえりなさい……」

上体を捩らせ、振り向いた姿勢で、この男に言葉を掛けた。
半蔵は応えることはなく、視線だけを寄越す。
これが半蔵の返事であるのだと、は最近になって分かり始めている。

「……何を見ていた」

歩みを進めながら、半蔵が独り言のように言う。

「月を……。いつもより、綺麗に見えたので……」

それを聞いた半蔵が、天を仰いだ。
半蔵はの横に立っている。
は青白い光を肌に這わせる男を見、浮かび上がったようになった二本の傷跡を、視線で撫でるようにした。
彫ったように低く窪み、縁は微かに盛り上がるそれは、半蔵に、他を寄せ付けぬ何かを、漂わせていた。

(そういえば……)

は半蔵と過ごしてきた日中のことを思い出した。
陽の下に居るというのに、男は一人だけ、その空間に浮いて見えた。
暖かな陽射しを跳ね退け、そしてその陽射しも、男を避けていた。
男は陽に照らされぬように、陽は男を照らさぬようにしていた。
何故そう見えたのかは、分からない。

「明るすぎる」

半蔵が呟いた。

「半蔵様は……月は嫌いですか?」

問えば、男の灰白の瞳がを見た。
深い、海底を覗くような色であった。

「……任の邪魔にはなる」

風が吹き込み、の髪が後ろに流れた。頬を冷たい夜風が撫でる。
娘が艶を含む髪を耳に掛けると、半蔵は右手を、障子へと伸ばした。
ゆっくりと、隙間を消した。
空気の流音は小さくなり、少しの静寂が感じられるようになった。
外と遮断されたこの室内は、再び、夜の暗さを増す。
己の真上を通った太い腕を眺め、その先にある、頭巾に包まれた男の顔を見たの頬は、撫子の花弁を落としたように、ほんのりと色付いていた。
それを、障子を通り抜けて差し込む月の明かりが、色味を覆うように隠していた。

「夜も遅い。眠れ」

言うなり、踵を返す。
半蔵の身体を這っていた光は、その対象物を無くして、畳に白い柱となって突き刺さった。

「眠れ、 ないんです」

喉から、息を吐くように言葉が出た。
振り向き己を見つめた半蔵の顔を見た時、は咄嗟に口走った言葉の意味を思った。



が屋敷で一人きりの夜を過ごすのは、もう数えきれぬ程であった。
娘一人では広大すぎるこの屋敷にて送る、己しか存在しない静かな時は、娘にとって、明かりの無い冬の暗夜のように、心寂しく、心痛ませるものであった。
物音しない室内の中で、膝を抱えて考えるのは、元居た時代にいる、父や母、友人。何時、己はあの時に戻れるのだろうか――。

長い夜は、を思わせた 。
長い夜は、に孤独を認めさせた。
恐ろしかった。一人きりの夜は、悪夢であった。

「俺がいて、それが変わるのか」

半蔵が同じ空間に現れた時、は安堵した。
躯の奥底にある隙間が埋まり、それまで冷たくあった闇は、柔らかく己を包んだ。

小さく、は頷いた。

「……」

男は瞳を伏せがちにした。
半蔵がこうするのは、呆れて溜息をするのに似ている。
前を向き直した半蔵は、の布団が引かれた左方……部屋の襖側の壁に背を預けた。
言葉は無かった。
は鼓動の高鳴りを感じた。微かに頬を緩ませ、真白い繭のような布の中に躯を横たえた。
半蔵の姿は一層影の濃い場所にある故、には男の様子が映らない。
然れど、双眸の輝きが無い故に、瞳を閉じていることだけは分かった。
眠っていないことなどは明らかであるのだが、にはそれが寝顔のように見えた。

「おやすみなさい」

声が、布団の内でくぐもって聴こえた。



――それから、どのくらいの時が経ったか。

はいつの間にか意識を手放し、眠りに就いていた。
娘の呼吸が変わり、漸く眠ったことを確認した半蔵は、足音も起てずにの枕元へと近付いた。
そこに、あどけない寝顔がある。
半蔵と出会った当初に比べ、随分と緩み、安らいだ表情であった。
寝相の悪さから肋骨付近まで下がっている掛け布団を、肩のところまで上げ直すとの上に乗る白い帯状の光を辿って、外との遮りを開けた。
音を起てていた風は収まっており、障子の向こう側には静かな夜の景色が広がっていた。
上空の月は沈みそうであった。
だが、強い明かりさえはその存在を誇張し続けている。
半蔵は下に垂らしていた手を、月の柱へと射し込んだ。
夜の光は美しさを持って、闇に生きる者へ、肌を突き刺す、冷たい眼差しを向けていた。


13.8.8







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