NOVEL  >>  Long Story  >>  story 01
冬曙
ドリーム小説 朝の陽に起こされた娘は一つ大きな欠伸をして、瞼を擦りながら、居間へと向かう。
広い空間に寂しく置かれた盆の上に、黒の碗と小皿が二つ。そして箸が一膳。
大きめの椀を、玄米を柔らかく煮たものが満たしている。その中に大根と菜もある。具は毎日違っており、昨日は芋と豆、一昨日は魚の身が混ぜられていた。
所謂”雑炊”と言うこれは、の舌にするとかなりの薄味だった。
好みで味の濃さを変えろ、ということらしくて、小皿の一つにその為の塩が置いてあり、もう一つには、均等に切られた胡瓜と大根の漬物があった。
冬入りの空気で冷えたそれらが、の食事となる。
白い指先から、粗塩が椀の中に落ちた。
とろりとした米と濁って光るそれを箸でくるくると混ぜてから、は残念顔でこのものを食した。

(また起きられなかった)

肩を落とす。

の食事は屋敷を出た双子の侍女や、助八、助八と共に出た男達の代わりに、屋敷の主人である半蔵が作ったものであった。
が寝ているうちに帰ってくる半蔵が、その頃に食事を用意し、また城に戻る。
男は以前、昼間にも帰ってきていたのだが、その回数も減り、最近は顔を合わせることも少ない。
温い雑炊を食べたいからではなく、自分が男の食事を用意したいと思って、は”早起き”をしようとしているのだが……それも上手くいかず、目覚めるのは、空が朝色に染まってからである。
娘が以前住んでいた時では、己が設定した時刻に音が鳴って、人を起こす、”目覚まし時計”というものがあった。
非常に役に立つ代物であるのだが、やはり、まだこの時には存在しない。
となれば、何年とそれに頼っていたこの娘に、早起きをする手立ては無く、

(始めから眠らなければいい)

この考えに行き着いた。
食べ終えてからは食器を水に浸かし、屋敷の仕事を始めた。
屋敷の仕事は、毎日が同じ内容である。
始めに鳩小屋の小さな窓を開けた。
その隙間から鳩が外に翔び出し、散歩か、各地にある伊賀忍の家に向かう。
一羽ずつ出掛けていく灰色や白の鳩を横目にしながら、次は水瓶から小さめの桶に水を汲んで、先ずは顔を洗い口を洗い、それから洗濯をした。
半蔵との二人分のものしか無い為、量は少なく、直ぐに終わる。
終えたら竿に干して、庭の枯れ葉を掃き、鳩小屋、屋敷内の掃除をした。
そして屋敷から少し離れた井戸で水を汲み、水瓶の中を一杯にした。
洗濯物が乾き次第取り込んで、夕方には鳩小屋の窓を閉める。

一日の仕事はこれで終わる。
合間にある暇な時間では、庭の草をむしったり、屋敷の近くを散策してみたりもした。
この流れが基本で、今日はそれに加え、昼寝をした。
勿論、今宵、睡魔に負けて眠らないようにする為であった。

(今日は寝ない。絶対に寝ない)

一日中それを思っていたと言っても、過言ではない。



「しまった」

躯を起こすなり、そう喘いで、頭を抱えた。
……日中の誓いも空しく、その夜に寝てしまっていたからである。
は日が翳るなり、自室へ戻って月明かりで読物をしていたが、いつの間にかその本を腕置きにして、眠りこけていた。
娘の睡魔は屈強であった。

(あれ)

しかし、外は未だ暗い。
真っ暗というふうではなく、空に青みがあった。
昼寝が効いたのか、或いは娘の気力がそうさせたのか……。
実のところ眠っていたのは二刻程であり、朝はまだ訪れていなかったのだ。
それに気付いた時、の顔に喜色が浮かんだ。
野兎のような速さで寝床から居間までを駆け、盆が無いことを確認すると、

「よし」

右手を握り締めて、

「勝った!」

とも言わんばかりで、頬が紅潮する程の興奮を、力む腕の動きで表した。

それからは、ご機嫌である。
鼻唄を歌いながら髪を一つに束ね、台所へ飛び込んだ。

そして……。が起き出してから半刻も経てば、屋敷の中に、うずうずと食欲を駆り立てる、香ばしい味噌の匂いが充満していた。
土間の窓から、匂いを乗せた白い湯気が溢れだし、昇る先の藍色の空は明るみを持ち始めている。

とん、とん、とん。

規則的に鳴る、板の音。
合わせたように、野鳥の囀ずりが響く。
この鳴き声の真下で、屋敷の塀に手を掛けようとした人物は、仄かな香りを捉え、その腕を下ろした。
脚は屋敷の門へ向く。
まるで生き物を手繰り寄せるような朝の匂いは、屋敷の正面では更に濃く、門の縁や木の上で、彼等も導かれたのか、鳥と栗鼠が一ヵ所を眺めていた。
野の生き物の間を通った半蔵は、開け放たれた戸の先の、土間の奥に見えた小さな塊に、先ずは驚いた。

「火を起こせたのか」
「わ、わあ!」

声掛けられた娘の躯が大きく跳ね上がり、横に転がった。
赤い炎が竈の細い隙間で揺らめいていた。
その上にある小鍋で、汁が煮たっている。
隣で、釜から白い煙が溢れ出している。

(……意外な)

半蔵は手にしていた包みを置き、その中にある、朝飯に使おうとしていた野菜を取り出しながら、感心した。
慣れた者にすれば火を起こすのは簡単なことであるが、母親の家事を手伝って、初めて石を手にした子供ではなかなか火花は散らせず、日が暮れるか、諦めて母親が火を起てるものだ。
つまり”こつ”の要ることである。
が以前、己が住んでいた時代では、火は”からくり”によって、赤子でも簡単に起こせるようになっている、と話したことがある。
そして助八の手で、鉄に鳴らされる石から飛び散る火の種に、

「すごい……」

と、興味津々に身を乗り出していたことがある。
本格的な冬に入る前には火付けの仕方を教えようと考えていたのだが、”初めて石を手にした”娘であったというのに、見よう見まねでしてのけた。
よく出来たものだ、と半蔵は思った。

娘は横に倒れた躯を起こすと、

「お、おかえりなさい。び……びっくりしました」

火を吹いていた竹筒を握り締めながら、額に汗を浮かべた緊張した面を、慎ましく咲く野菊のような笑みで崩した。

「助八さんの真似をしてやったら出来たんです!もうそれは沢山……打ちましたけど」

傍らにあった石と打ち金を拾い、自慢気に半蔵の前へ出してみせた。
その自信に満ちた明るい笑顔を向ける娘に、半蔵はいよいよ、

(可笑しな女だ)

との思いを募らせた。
そして、が拵えたものを眺め、

「何故、お主がこれを」

問うた。
こう思うのも、不思議なことではない。今まで、半蔵が食事を用意してきたのである。
その為に屋敷へ戻ってきた時、既に朝食が作られていれば、作った本人のの動機が気になるのも、当然と言えた。
が、はこれに意表を突かれ、赤面した。

「え、えっと、いつも作ってもらっているのは、いけないと思って」

差し出していた石と鉄を背に回し、伏せ目がちに、そう応える。

「……」
「ごめんなさい、勝手に、しちゃって……」
「……勘違いをするな。咎めているつもりはない」

娘は顔を上げ、未だに狼狽えながら、小さく頷いた。
半蔵が汁の鍋に近付くと、濃い味噌の香りが鼻孔を擽る。そして、釜からの甘い煙が、内容の炊き上がりを報せていた。



「いただきます」

はどの料理よりも先に、甘く煮られた南瓜を口にし、眉根を寄せ、唸った。

「美味しい!」

半蔵との間には、が作った味噌汁、米の他に、漬物、半蔵が拵えた煮物が広げられていた。
最近の食事に比べれば、今日のものは凝っている……と言えるだろう。
食に対して、拘りの無い半蔵である。
美味であるかは二の次であり、空腹を満たし、十分な忍び働きが出来る程のものを食べれればよいとしていたが、半蔵は久方ぶりに口にした”料理”に、胃と共に、舌までもが満たされるのを感じていた。
もまた、満たされている。

”温い雑炊を食べたいからではなく、自分が男の食事を用意したいと思って……”

と、いうように、は料理の何かを求めていたのではなく、食事の何かを求めていた。
が半蔵の食事を拵えたいと思っていた、その願いの核は、半蔵と向き合い、共に食事をすることであった。

「半蔵様、凄く美味しいです」
「……応」

娘は温かな料理の味、そしてこの景色に、溢れるような笑みを作った。
こうして二人きりで食事をするのも、今まで、無きに等しかった。

「あの……」

そして、このように、落ち着き、会話をする場も、近頃は無かったと言っていい。
改めて、話をするには良い時であった。

「なんだ」
「……半蔵様は、私が前に話したことを、信じてますか?」

は急に、その顔に不安を表した。
箸を置いた半蔵が、娘の瞳を見つめた。

「べ、別にいいんです。自分でも、信じられないことですし……」

まるで相手を責める言葉だったと思い、それを撤回するように、両手を否定的に振る。
そして言いかけた音を、半蔵の声が遮るようにした。

「信じねば、お主の存在が何であるのか、納得が出来ぬ」
「……」
「信じ難い。だが、それがお主の”まこと”だ」

”信じている”

の胸を埋め尽くしていたものは、氷が陽に溶けるように、雲が遠くの空へ流れるように、その姿を消していく。

「でも、なら半蔵様はなんで、私にこの時代がどうなって進んでいくのかを訊かないんですか……?」

これが、胸に残った。
あの時から気にかかっていたであった。
時を越えてきた、と吐露してからも、半蔵は一言足りとも、それを訊ねない。
他の人間ならば、娘の言葉を真実であるか確かめる為に、先のことを訊ねただろう。
その時には、娘は己の知っている限りで、応えようと思っていた。
歴史を変えてしまうのでは……と脅えながら。
それも、訊ねてこない理由を、

(信じてもらえていないから……?)

と、考えたからであった。

「……幾つの戦が起ころうと、天下を治めるのが誰であろうと、主の為に走るに、変わりはない」
「……」
「ならば、先のことを知る必要も、ない」

訊かぬわけが、に対し、明らかとなった。
併せて、服部半蔵という男は、決して揺るがない、固い信念を持っているということも。

この男、主に忠を尽くし、己の命は主が望む道を創る為に、潰えるものであるとしている。

生き方が決まっていた。
四方を闇に囲まれた、一本の道。その道を進めば、行き着先に、眩い光がある。
光は、男の身を滅ぼす。光の更なる先へ、進ませはしない。
そんな道であるのを知りながら、半蔵は、身を削り進むのだ。

「案ずるな。既に、お主を疑ってはおらぬ」

半蔵が空になった椀と箸を持ち、腰を上げた。
全て見抜かれていた、とは気付き、そして、大きな安堵をもたらす男の言葉に、同じ程度の……否、それ以上の幸せを得る。

「私、片付けます!」

追い掛けるように立ち上がり、男の傍へ寄った。
慣れない正座により、娘の両足は痺れていた。
一歩踏み出せば、脚が、まるで千本の針を埋めた泥沼に沈み込んだような感覚となる。
は短い悲鳴を上げ、神経が切れたように膝が折れた。躯は前のめりとなった。



「ああ、疲れた……」

一人の青年が、朝空に向かって、深い溜息を溢した。

「やはり、屋敷まで来て貰うべきだった。二人共、妻も子もいるから、早く家に返してやろうと思ったんだが……これは、重い……」

独り言を洩らすのは、織田の地まで買い入れをしに行った、半蔵の配下の忍び、助八であった。
背に、腹に、両腕に、大量の荷をぶら下げ、その躯を引き摺るように歩いていた。
屋敷に戻る道中、旅を共にした男達に気を利かせ、途中で荷を受け継いだは良いが、青年の躯はとっくに限界を越えていた。
顔は疲労に満ち、

(着いたら頭領に報告して、それから、寝床へ倒れこもう……)

睡魔と戦っていた。

(ん?)

助八の鼻が動く。
半蔵の屋敷を前にして、なんとも旨そうな香りを捉えたのである。
すると、荷に覆われた腹が鳴り出して、眠気より、食い気が勝ってくる。
躯が生気を帯びてくる。

(よし……。やはり食べてから寝よう)

一変して、表情を明るくし、地を踏む脚に、力が籠った。
門を通る時には、老人のように曲がっていた背も、頭頂にある糸を天から引かれたように、ぴん、と上へ伸び、寧ろ堂々とした出で立ちで、玄関の戸に手を掛けた。

「只今戻りました!」

ふわり、と朝食の空気が青年の躯を包んだ。
己に浴びせられる労いの言葉を待ち構えていた助八は、この瞬間に息を飲み、戸の奥にあった景色に、瞠目した。

「……」

男女が抱き合っている。
男は筋に包まれた逞しい腕で、娘の肩を抱き、娘は男の厚い胸に、そこが己の居場所であるかの如く、顔を埋めている。

半蔵と、であった。

助八は言葉を失ったが……勿論、この二人は恋人同士のように、抱きあっているのではない。
転げそうになったを、半蔵がその寸前で、支えただけ、である。
然れど、半蔵の胸に突っ伏しているの耳が、染めたように赤くなっているのを目にし、青年はこの状況に、

(俺が居ぬ間に、二人は……)

と、思考したのである。

「……助八、戻ったか」

その為、こうした上司の声にも、助八は口をあんぐりと開けたまま、頷くことしか出来なかった。
この青年が意識を取り戻し、漸く温い飯にありつけたのは、の弁解と、地に転がる、椀と箸の存在を結びつけることが出来てからである。


13.7.11







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